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Mr.Jのブログ
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2024/04/28 (Sun) 03:43
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2014/12/27 (Sat) 16:32
昭和45年4月、回線品質向上と回線数増強目的で宇都宮-那須-六国寺山反射板-郡山が新設された。この工事で宇都宮-白河南反射板-白河-白河北反射板-郡山が廃止となった。
県道那須高原線沿い、グリーンロッジ跡の近くにある。

局舎は那須という場所柄のためか景観に配慮されているように見える。
レンガ壁の写真を撮るのには苦労した。

鉄塔も高さが抑えられている。グリッドパラボラは宇都宮向け。

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2014/12/21 (Sun) 20:12
昭和41年3月、管理局がある高崎と宇都宮をつなぐ通信回線を整備するために高崎-宇都宮間が開通した。当然、直接の見通しは得られないため前日光牧場の端に2枚交叉形の反射板を設置した。

県道58号線と前日光牧場との分岐から入る。


10分程度で方塞山に到着。今は使われていないが水資源機構保有と思われる無線中継所。


牧場内の平らな部分に反射板が建っていたらしい。主を失った今でも用地杭が残っている。

山を降りた後は日光で喉の渇きを癒す。
 

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2014/12/14 (Sun) 17:16
<2011年1月16日・新規><2014年12月14日・写真入替>
海峡横断、設備の老取のために地方を中心に整備されてきたSHF回線も昭和32年からスタートした近代化計画の一環で幹線系マイクロとして全国展開することとなった。当時の制度でいう本社-支社を主要な駅を通りながら回線構成するもので、東京-門司、東京-札幌、東京-新潟が計画・建設された。
昭和33年2月、東京-宇都宮が幹線系マイクロの中でも先陣を切る形で開通した。

現在も残っている鉄塔は新幹線建設に伴い昭和48年12月に支障移転で建てられたものである。


グリッドパラボラは那須向け。
 

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2014/12/11 (Thu) 23:19
昭和35年5月、筑波-水戸が開通。昭和55年7月、駅から北へ約400m離れた水戸鉄道管理局庁舎に移転した。

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2014/12/10 (Wed) 23:15
昭和32年2月、東札ルートの東京-宇都宮が開通、東京から数えて一つ目の無線局。昭和35年5月に東京-水戸のSHF回線として筑波-水戸が開通、この無線局で東札ルートから3G・36chを分岐した。
昭和37年10月には東潟ルートが開通、東京-水戸と同様に東札ルートから分岐するため高崎向けが新設、2SG・120chを分岐した。この時に将来対応として東京ー筑波は240chから480chに増強された。
昭和45年4月、東潟ルートが危機分散の観点から登谷無線局を新設し東札ルートから独立したため、筑波-高崎が廃止された。

筑波山頂駅にて。目指すは男体山。


局舎は比較的最近塗装されたようで綺麗になっている。下段の鉄塔は高崎向けが新設された時に建てられたものである。

山頂付近は狭い上に国定公園に指定されている為にあまり整地できなかったらしく擁壁を設けている。よくこんな所に建てたもんだ。

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2014/12/05 (Fri) 00:53
昭和34年4月15日、東京-大阪間に国鉄のSHF回線が開通した。重要な都市を繋ぐSHF回線の開通は国鉄にとって大きな出来事であった。

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2014/12/04 (Thu) 00:08
<2010年9月28日・新規><2012年12月30日・追加>
CTC導入に伴い本宮山-飯田間が7GHz・SS-FM方式で開通、後に飯田-辰野間が2GHz・デジタル方式で開通。(現在、後者は廃止) ここにもロウソクが2本、火点けたら燃えるかなw

未だ看板は日本テレコムのまま

<2014年12月3日・追加>
 
回線廃止に伴いアンテナ撤去。

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2014/07/21 (Mon) 18:53
<2012年12月12日・新規>
直江津-能生間の反射板。東門第二ルートの直江津から門司の間は極力反射板を使用しない置局にしたので同区間では唯一の反射板であった。
現在は撤去されて跡形もない。

場所は糸魚川市と上越市の境、花立峠から南東約2kmの590高地。
地図を見てみると590高地から北へ点線が伸びていたのでそれを辿れば着くだろうと考えていたがそうはいかなかった・・・ 実際に行ってみると草木だらけで、しかも利用する人もいないのか踏み跡も無くこのままでは時間もかかるので北からのアプローチをあきらめる。
現地で地図を見ているとどうもピークの東側に自動車が通れそうな道があり、そこからは道はないが歩いて行けそうだ。
実際はピークの近くまでは自動車で行くことができた。但し幅員は一台がやっと通れる程度、奥の方は舗装されていなかったが同じような道は何度も通っているので慎重に行けば大丈夫、慣れたものである。
さて、ここから先が大変である。草を掻き分けてひたすら歩く。短距離なのでまだマシな方。草木に阻まれながらも歩くこと約10分、590高地に到着。そこにあったものは・・・
20111212-02.jpg 20111212-03.jpg
反射板は既に撤去されていたが(まあ知ってたけど)、代わりに?石仏が置かれていた。どのようないきさつでこの名も無き山に置かれたのかはわからないが。

20111212-01.jpg
よくもまあ辿り着いたもんだ。反射板の建設・保守・撤去がいかに大変かが垣間見れた探索であった。

<2014年7月12日・追加>
 
再度、行ってみた。実は頂上までは道があったんですよwww

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2014/05/08 (Thu) 01:30
<2010年7月29日・新規>
<2014年5月8日・写真入れ替え>
富山県朝日町の城山にあった東門第二ルートの無線局。現在は携帯電話の基地局となっている。

左が2010年7月に撮影。右が2013年9月に撮影。携帯電話のアンテナが1基撤去されているのに加えてエントランス回線のオフセットアンテナも撤去されている。

 

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2014/02/27 (Thu) 00:44
<2010年5月・新規>
<2011年10月15日・写真追加>
元々は大阪鉄道管理局の屋上に鉄塔が設置されていたが、平成4年のJR西日本本社移転により設備も現在の場所に移転した。但し、比叡向けと京都向けは移転の数ヶ月後に廃止されたためそれらの設備が移転したかどうかは不明。
20111015-01.jpg

<2014年2月27日・写真追加>
廃止後絶賛放置プレイ中だったが遂に撤去。
 

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2014/02/20 (Thu) 01:38
千葉県勝浦市の東急リゾートタウンの南側の外房線の沿線に現在も残っている。どちらかと言えば鵜原寄りであることから「鵜原」とも呼ばれていたらしい。



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2014/02/16 (Sun) 22:42
大多喜町横瀬の345高地にかつてあった。

木々の間に造られた道を歩く。目的地のすぐ横を舗装された林道が通っているので歩く距離はわずか。
 

なぜこんなところにNo.70のトラフが・・・ しかも階段代わりにされてるw
 

この場所が無線局跡と思われる。この広さなら建てれそうである。
 

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2014/02/13 (Thu) 23:30
<2010年9月2日・新規>
<2014年2月13日・写真差し替え>
 

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2014/01/28 (Tue) 23:54
鋸南町と富津市の境に位置する鋸山へ行ってきた。


参道の途中で目的地に辿り着けそうな道を発見、この時点で道中どんな感じかよく分かるw

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2014/01/26 (Sun) 13:41
<2010年8月28日・新規>
<2014年1月24日・写真差し替えおよび説明追加>
電波の割り当て上使用できなくなった400MHz帯固定回線の置き換えとして、昭和57年3月に千葉-館山・千葉-勝浦が2GHz・PCM-PSK・24chで開通した。
その後、飯田-辰野と同様に廃止となる。
 

 

 

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