2013/06/18 (Tue) 23:23
2013/06/13 (Thu) 00:55
2013/06/11 (Tue) 22:59
2013/06/05 (Wed) 00:56
2013/06/04 (Tue) 23:16
<2011年8月17日・新規>
佐世保線と大村線の分岐駅で列車運行の拠点となっている早岐駅は鉄道電話の統制局でもある。博多-長崎SHF回線もこの駅を経由するルートで選定が進められた。
この建物の屋上に鉄塔が設置されていたらしい。南佐賀向け、長崎向け共に次で紹介する隠居岳反射板を経由しているためアンテナはほとんど同じ向きであった。
上の写真でもわずかながら写っている鉄塔はデジタルマイクロ新設の時に建てられたもの
しゅうちゃんのお出かけ日記様にて在りし日の無線局が写っている写真が掲載されています。
上下のアンテナが同じ向きなのが分かります。
http://sl-taki.blog.so-net.ne.jp/2008-04-10
<2013年6月4日・追加>
デジタルマイクロのアンテナ撤去
佐世保線と大村線の分岐駅で列車運行の拠点となっている早岐駅は鉄道電話の統制局でもある。博多-長崎SHF回線もこの駅を経由するルートで選定が進められた。
この建物の屋上に鉄塔が設置されていたらしい。南佐賀向け、長崎向け共に次で紹介する隠居岳反射板を経由しているためアンテナはほとんど同じ向きであった。
上の写真でもわずかながら写っている鉄塔はデジタルマイクロ新設の時に建てられたもの
しゅうちゃんのお出かけ日記様にて在りし日の無線局が写っている写真が掲載されています。
上下のアンテナが同じ向きなのが分かります。
http://sl-taki.blog.so-net.ne.jp/2008-04-10
<2013年6月4日・追加>
デジタルマイクロのアンテナ撤去
2013/06/03 (Mon) 01:03
<2011年8月18日・新規>
早岐駅から北約5kmにある山。南佐賀向け・長崎(星取山)向けの2枚の反射板があった。早岐-長崎は地形上ルート選定に難航、早岐止めも検討されたが禅定寺前山(小郡)-門司で検討された両側2枚反射板を採用して開通した。
山頂。時期が時期なので眺望はあまり・・・、である
山頂から少し南側に下ったところに金網の基礎、さらに土留めが。このあたりに反射板があったと推測。
手前には長崎(星取山)向けの反射板が、奥には南佐賀向けの反射板があった。回線の廃止は平成3年なので自然に還るには十分な時間か。
<2013年6月3日・追加>
左が長崎(星取山)向けの反射板の擁壁、右が南佐賀向けの擁壁。
同じ時期に建てられたはずだがコンクリートと石積みとに分けているのが気になる。
早岐駅から北約5kmにある山。南佐賀向け・長崎(星取山)向けの2枚の反射板があった。早岐-長崎は地形上ルート選定に難航、早岐止めも検討されたが禅定寺前山(小郡)-門司で検討された両側2枚反射板を採用して開通した。
山頂。時期が時期なので眺望はあまり・・・、である
山頂から少し南側に下ったところに金網の基礎、さらに土留めが。このあたりに反射板があったと推測。
手前には長崎(星取山)向けの反射板が、奥には南佐賀向けの反射板があった。回線の廃止は平成3年なので自然に還るには十分な時間か。
<2013年6月3日・追加>
左が長崎(星取山)向けの反射板の擁壁、右が南佐賀向けの擁壁。
同じ時期に建てられたはずだがコンクリートと石積みとに分けているのが気になる。
2013/05/28 (Tue) 23:56
2013/05/21 (Tue) 23:40
<2011年7月31日・新規>
昭和31年1月、門司-鳥栖のSHF回線の無線局として新設。国鉄最初の無人化された無線局であった。
その後、災害対策として九州内のSHF回線の整備が計画され、若杉山から熊本・鹿児島へ延伸(西回り回線と呼ばせてもらおう)、それに伴い門司-若杉山は回線が増強された。熊本向けは無線機を新設せずに現用の鳥栖向け無線機と共用、出力を分岐する特殊な方式が採用された。
昭和41年9月、九州内のSHF回線が改良・新設された。昭和31年当時の鳥栖は蒸気機関車が集まるそれなりに重要な拠点であったが、無煙化により重要性は薄れていた。一方、博多は高架駅となり九州の主要都市を結ぶ列車が数多く発着、業務機関も集中していた。そのため鳥栖無線局は廃止、博多無線局が新設された。
山頂へは行きは右の道を、帰りは左の道を利用した。影は少し涼しい。
山頂付近。写真の無線局(移動無線センターのものだったと思う)の手前にあった模様。
九州電力若杉山無線中継所。おびただしい数のパラボラアンテナ。本店からこの無線中継所へ、ここから発電所・変電所・支店へ分岐しているんだろうな。
ソフトバンクテレコム若杉山無線中継所。平成に入ってすぐに日本テレコムによって新設されたデジタルマイクロの無線中継所である。オフセットアンテナの開口部のシートが風で揺れていたので今は使われていないご様子。
山頂付近には神社もあります。
<2013年5月21日・新規>
九州編再開。
九電の無線中継所の横に若杉山無線局があった。
ソフトバンクテレコムの無線中継所に変化。アンテナ撤去。
昭和31年1月、門司-鳥栖のSHF回線の無線局として新設。国鉄最初の無人化された無線局であった。
その後、災害対策として九州内のSHF回線の整備が計画され、若杉山から熊本・鹿児島へ延伸(西回り回線と呼ばせてもらおう)、それに伴い門司-若杉山は回線が増強された。熊本向けは無線機を新設せずに現用の鳥栖向け無線機と共用、出力を分岐する特殊な方式が採用された。
昭和41年9月、九州内のSHF回線が改良・新設された。昭和31年当時の鳥栖は蒸気機関車が集まるそれなりに重要な拠点であったが、無煙化により重要性は薄れていた。一方、博多は高架駅となり九州の主要都市を結ぶ列車が数多く発着、業務機関も集中していた。そのため鳥栖無線局は廃止、博多無線局が新設された。
山頂へは行きは右の道を、帰りは左の道を利用した。影は少し涼しい。
山頂付近。写真の無線局(移動無線センターのものだったと思う)の手前にあった模様。
九州電力若杉山無線中継所。おびただしい数のパラボラアンテナ。本店からこの無線中継所へ、ここから発電所・変電所・支店へ分岐しているんだろうな。
ソフトバンクテレコム若杉山無線中継所。平成に入ってすぐに日本テレコムによって新設されたデジタルマイクロの無線中継所である。オフセットアンテナの開口部のシートが風で揺れていたので今は使われていないご様子。
山頂付近には神社もあります。
<2013年5月21日・新規>
九州編再開。
九電の無線中継所の横に若杉山無線局があった。
ソフトバンクテレコムの無線中継所に変化。アンテナ撤去。
2013/05/10 (Fri) 19:52
2013/05/04 (Sat) 22:33
2013/04/22 (Mon) 01:46
紀伊田辺-串本の反射板。
板立峠付近からエントリー。
約1時間で山頂に到着。反射板自体は2010年、私がまだ駆け出しの頃に撤去された。(参考)
基礎の形から反射板は全体を動かして調整する方式といったところか。この山は反射板を設置するのに不適であったが回線設計や見通しの都合上この場所しかなかったようだ。本来なら同じ平面にあるはずの基礎が段違いに設置されていたり擁壁の形といい、工事に苦労したのが良く分かる。
長年の風雨に曝されたタラップ。一つは抜け落ち残りもグラグラになっていた。
山頂からパノラマ撮影、眺めは非常に良い。
下りる前に記念撮影。
さらば法師山。
板立峠付近からエントリー。
約1時間で山頂に到着。反射板自体は2010年、私がまだ駆け出しの頃に撤去された。(参考)
基礎の形から反射板は全体を動かして調整する方式といったところか。この山は反射板を設置するのに不適であったが回線設計や見通しの都合上この場所しかなかったようだ。本来なら同じ平面にあるはずの基礎が段違いに設置されていたり擁壁の形といい、工事に苦労したのが良く分かる。
長年の風雨に曝されたタラップ。一つは抜け落ち残りもグラグラになっていた。
山頂からパノラマ撮影、眺めは非常に良い。
下りる前に記念撮影。
さらば法師山。
2013/04/21 (Sun) 22:22
2013/04/11 (Thu) 00:15
2013/04/08 (Mon) 23:04
昭和37年9月の開通時には重山(かさねやま)に設置されていたが自動車で行けるのは途中までで、そこからは徒歩での行き来を余儀なくされていた。昭和53年1月の老取・増強の際に重山から番所山へ移転した。
まずは新由良無線局から。白崎青少年の家の近くにある。最初から番所山に設置しなかったのは当時、番所山には何も無く道路から作る必要があったのでそれなら頂上に寺があり一応道もあった重山を選んだか、番所山に設置しようとしたけど断られたから重山に・・・、といったところだろうか。今となっては定かではないが。
続いて重山に移動。紀伊防備隊の鎮魂碑に手を合わせてから山登り開始。
確かに途中までは小型の四駆なら通れそうな道幅があるものの、石が沢山転がっていて今となっては厳しそう。(写真無し)
そこからは急に狭くなっていつもの登山道である。普通の人が重い資機材担いで行き来するのは確かに厳しく保守者泣かせである。(これも写真無し)
開けた場所から由良港を撮影。
頂上に到着。取り壊しも難しいので鉄塔だけ撤去してあとは放置プレイ。
ちょいとおじゃましますよ。左が電源室、右が無線室といったところか。
番所山から重山に移動途中に湧き水をいただく。
まずは新由良無線局から。白崎青少年の家の近くにある。最初から番所山に設置しなかったのは当時、番所山には何も無く道路から作る必要があったのでそれなら頂上に寺があり一応道もあった重山を選んだか、番所山に設置しようとしたけど断られたから重山に・・・、といったところだろうか。今となっては定かではないが。
続いて重山に移動。紀伊防備隊の鎮魂碑に手を合わせてから山登り開始。
確かに途中までは小型の四駆なら通れそうな道幅があるものの、石が沢山転がっていて今となっては厳しそう。(写真無し)
そこからは急に狭くなっていつもの登山道である。普通の人が重い資機材担いで行き来するのは確かに厳しく保守者泣かせである。(これも写真無し)
開けた場所から由良港を撮影。
頂上に到着。取り壊しも難しいので鉄塔だけ撤去してあとは放置プレイ。
ちょいとおじゃましますよ。左が電源室、右が無線室といったところか。
番所山から重山に移動途中に湧き水をいただく。
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