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Mr.Jのブログ
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2024/05/11 (Sat) 15:27
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2012/02/27 (Mon) 08:43
昭和39年9月、大阪-米子開通。鳥取-本陣山のビーム給電、本陣山-米子の偏波ダイバーシティなど他には見られないものを採用した回線であったが、後年原形のルートがわからなくなるぐらいの改良を施されることになる。
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柱はコン柱。アンテナを取り付けていた金具やステージが今でも残る。
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2012/02/08 (Wed) 08:43
大山の北西、米子市と大山町の境に位置する孝霊山にある。かつては昭和39年9月に開通した大阪-米子SHF回線のうち本陣山-米子間の反射板があった。
昭和48年12月、山陽新幹線博多開業に伴いルート改良が施行されて無線局が新設、反射板は廃止となった。

左の写真の看板が示す方向に進むと専用道路の入口に到着。先は草ボーボーというわけではない。
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天気はあいにくの曇り模様。雨が降らないだけマシである。
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孝霊山の北西、586高地に到着。
かつては鉢伏向け、大日向け、米子向けの3方向のアンテナがあった。
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局舎とは別に建物がある。何かあったときに職員が詰めるためのスペースといったところか。局舎との間は外に出ないで済む様になっている。もし正解ならば当初の目的である東門第二ルートが完全に廃止された今、その様に使われることはもう無いだろう。
レドームは発生品かな?
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近くにはご丁寧なことに看板まで設置されているが無線局新設当時のものなのか、かなり劣化している。「日本国有鉄道 孝霊極超短波 無線中継所」とかすかに読める。しかし修正した後があり「孝霊」の部分は「鉢伏」だったようだ。
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2012/01/30 (Mon) 01:30
迷路の様に入り組んだ道を歩いて兵庫県と岡山県を行き来すること約1時間、目的の場所に到着。
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サムネだとパスレングスアンテナに見えるw

「石堂丸山無線中継所」とせずに「石堂丸山極超短波中継所」としているところに何かのこだわりを感じる。
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架台のH形鋼?に「D-1」「D-2」の文字が書かれているはルート予備方式の名残である。
ルート予備方式とは1区間を現用回線と予備回線で構成する方式で周波数が4波必要となる。初期の頃、セット予備方式は切替に時間がかかったらしく、回線の信頼度を確保するために幹線系ではルート予備方式が採用された。これに関しては別の機会で紹介する予定としておこう。
最初の方に戻って「D-1」「D-2」は「上り第一ルート」「上り第二ルート」に該当する。どっちのルートのアンテナかを識別するために書いたのだろう。
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やっぱりN(ry
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帰りは日生に寄ってカキおこと串焼きを食べる。うまいのなんの!
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これにて東門第一ルート制覇!

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2012/01/26 (Thu) 08:29
舞鶴市の五老岳にあった。現在は更地になっている。
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五老スカイタワーとNTTドコモの基地局
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2011/12/26 (Mon) 01:19
昭和36年10月に開通した北陸マイクロの無線局。その後、東門第二ルートに組み込まれることになる。
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近くにあったほかの無線局。NTTは分かり易いw
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2011/12/18 (Sun) 13:21
昭和36年10月、敦賀-金沢開通。米原-敦賀と同様に交流電化に伴うものであった。
一方、交流電化の方は昭和37年に福井まで、昭和38年には金沢までが電化された。

無線局のあった場所は現在の西口のあたり
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2011/12/02 (Fri) 15:23
閲覧ありがとうございます。いつの間にか100箇所を達成してしまいました。
内訳が無線局が80箇所、反射板が21箇所(隠居岳反射板を2箇所としてカウント)となります。
前回と同様に今までと異なった形で成果公開を行います。

大阪~広島
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広島~門司
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ある程度蓄積されてきたら(今でも結構蓄積されてるけど)GoogleMapを使ってルート図を公開してみようと考えてみたり・・・
これからもよろしくおねがいします。

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2011/11/22 (Tue) 00:49
東潟ルートの長野-直江津は当初、信濃町の柏原に無線局を設置する予定だったが、反射板が使えないかということで見直した結果、湯田中温泉近くの高杜山に反射板を設置すると長野-直江津の伝搬路が得られることが判った。しかし、豪雪地帯でかつ標高の高い山であるため反射板に着氷雪して通信に影響を与える懸念があった。そこで昭和34年に試験用の反射板を仮設し着氷雪状況を調査、その結果当初どおり柏原に無線局を設置することとした。

場所は上信越自動車道の信濃町インターチェンジ近くで信越本線の黒姫駅からも近い。現在は携帯電話の基地局として再活用されている。
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こりゃまた懐かしい社名だなw 今はソフトバンクモバイルだっけ?
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2011/11/19 (Sat) 19:00
長野-柏原の反射板

登山道が整備されているので山頂へのアクセスは困らない
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反射板は既に撤去されて基礎と用地杭だけが残っていた。基礎の形からすると全体が動くタイプといったところか。
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珍しく案内板が設置されていて、当時を偲ぶことができる
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あの山を越えれば直江津までもう少しである
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2011/11/14 (Mon) 01:12
王ヶ鼻付近にあった無線局。長野-松本間のUHF回線の無線中継所として新設され、無線機の老朽化に伴い昭和56年12月にSHF化された。

山頂付近
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既に取り壊されて更地になっていた。笹が生えていない辺りに何かがあったとわかる程度。
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美ヶ原無線局は旧国鉄の無線局・反射板の中でもおそらく最も高い場所に位置していたと思われる。
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2000mから見た風景、まさに別世界。
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2011/11/12 (Sat) 14:18
メトロポリタンホテル横。廃止後も局舎のみ残っていたが取り壊された。つい最近まで残っていたようだ。
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2011/11/05 (Sat) 03:56
小諸-長野の反射板。
山頂から少し下ったところに毎度おなじみの用地杭を発見。机上で割り出した場所とほぼ一致。
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木々の間から何かが見えた・・・、もしや!?
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これはひょっとすると・・・
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どう見ても反射板でした本当に(ry 撤去されたものとばかり思っていたが、東屋に転用されていたとは。でも誰が利用するのだろう草木ボーボーで最初気づかなかったぐらいだもの。
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2011/10/31 (Mon) 08:38
小海線乙女駅近くの高台にある無線局。現在は携帯電話の基地局となっている。
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2011/10/26 (Wed) 23:23
高崎-小諸の反射板。

東電名義の専用道路。
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専用道路の終点。かつてはNTTの無線中継所があった。
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専用道路の終点付近から登山道を歩き、棘付きの枝を掻き分けて歩くこと約5分で目的地に到着。2組の反射板があったが現在は撤去されて野に還りつつある。
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2011/10/22 (Sat) 23:57
昭和29年4月、電電公社にとっては初めての実用化SHF回線が東京-大阪間に開通した。SF-B1方式と呼ばれるもので国産の技術で製作され、1SYSあたり白黒テレビジョン信号1chまたは電話360ch容量であった。
昭和46年にその功績を称えて東端に記念碑が建立されたが、昭和48年には高層ビル対策として機能を別の場所に移転、無線中継所の役割を終えた。

場所は港区元麻布、近くには六本木ヒルズがある閑静な住宅街にひっそりと佇んでいた。一度実物を見てみたかったんだよなぁ
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周囲はガラリと変わっても記念碑は残り続けている。関係者のこの地に対する思い入れの深さがよくわかる。

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