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Mr.Jのブログ
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2024/05/13 (Mon) 20:08
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2011/05/06 (Fri) 08:30
紀伊中ノ島にある社宅にあった。
無線機は発生品を再用したのは天王寺で述べたとおり。元々は函館-札幌・大阪-姫路・米原-敦賀で使用されていたものでそれぞれメーカーが異なっていた。調整には相当苦労したらしい。
20110506-01.jpg 20110506-02.jpg 20110506-03.jpg


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2011/04/29 (Fri) 01:00
天王寺と和歌山の間を継いでいた2枚並行形反射板。
20110429-01.jpg

天王寺向けの反射板
20110429-02.jpg

和歌山向けの反射板
20110429-03.jpg

この金属の箱の中身は後ほど・・・
20110429-04.jpg

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2011/04/22 (Fri) 23:52
管理局のある天王寺から松坂方面への通信回線整備のために昭和44年9月に天王寺-松阪間が開通した。
天王寺から数えて一つ目の中継所であった。
20110422-01.jpg 20110422-02.jpg

局の位置を割り出したときに「もしかしたら昔撮った写真に写っているかも」ということで一眼デジ以前の写真を探してみたら、なんとその写真が見つかった。撮影日は2002年5月3日、確かこのときはどこの無線局かは不明ということで片付けていた。月日は流れて約9年後、改めて見てみると国鉄の無線局であったと断定できたので後日、現地確認を実施した。
懐かしい思い出と共に当時の写真も公開しておきます。
20110422-03.JPG 20110422-05.JPG 20110422-04.JPG

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2011/04/20 (Wed) 23:51
昭和20年代の天王寺鉄道管理局管内の通信設備は、「台風が通ると必ずどこかの設備が被災する」と言っていいぐらいに台風によって痛い目にあっていた。特に紀勢本線の通信線はそれが顕著であった。その通信線には重要回線も収容されているので長時間の回線断は保安上よろしくない。
ちょうどその当時、幹線系の新設によりそれ以前に開通した一部の区間も幹線系と同じ無線機に取り替えた。撤去になった無線機はそんなに古くは無いのでどこかで使えないかと検討した結果、無線機を改修のうえ、天鉄局で使うこととなった。
こうして昭和37年9月に天王寺-新宮が28CH(最大)・SS-FM方式で開通した。昭和53年1月には電化・CTC化に伴い無線機の老朽取替及び回線容量が300CHに増強された。
20110420-01.jpg 20110420-02.jpg
どうやら少なくとも2010年秋までは鉄塔が残っていたようだ。
天王寺といい、一連の探索といい、すっかり出遅れたなぁ~ まっいっか、場所が特定できただけでもよしとするか。
中には取り壊された上に別の建物が建って全くわからないところもあるもんなぁ

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2011/04/11 (Mon) 01:38
姫路市南西部の仁寿山にある反射板。姫路-石堂丸山間の無き電中継を行っていた。

小富士山から撮影。左の四角い物体が当該の反射板。
20110411-01.jpg

20110411-02.jpg 20110411-03.jpg


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2011/03/28 (Mon) 19:59
489系やゆうゆうサロン岡山には目もくれず、マイクロウェーブ反射板探し。
昭和33年8月、名古屋-大阪が開通したときに新設されたもの。現在は撤去済み。
伊吹山の中腹にある今や国指定史跡となった京極氏遺跡にあったようだ。

用地杭ぐらいは残っているだろうと探してみたが全く手がかり無し。この辺という推測で決着。
雪が積もっていなかったら何かしらの手がかりが見つかっていたかもしれんなぁ
20110328-01.jpg

帰りは名古屋経由。名古屋無線局を撮影した後あの場所で夕食。かなり歩いたのでご飯がすすむ!

この反射板をもって東京-大阪間コンプリートしました。

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2011/03/04 (Fri) 01:52
個人的には大ニュース
総務省の無線局情報検索で青森-函館のソフトバンクテレコムがヒットしない。どうも廃止になったらしい。
新幹線の新函館開業までには廃止を含めた何かしらの動きがあるだろうとは推測していたが意外と早かった。

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2011/02/14 (Mon) 01:31
日頃の閲覧有難うございます。
先日の比叡山局で50箇所掲載となりました。無線局が後山も含めて44箇所、反射板が6箇所という内訳です。
反射板の写真を撮るために山に登るという別の世界に足を踏み入れるきっかけにもなりました。
これからもマイペースで探索・掲載を行っていきます。
今回は写真と共に記録した位置情報を使用して、今までとは異なった形式で成果公開を行います。

東京~名古屋~大阪プロフィール
20110213-01.png

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2011/02/09 (Wed) 23:22
昭和43年3月新設。それ以前は米原-音羽山反射板-京都-飯森山反射板-大阪のルートであったが、米原-京都が琵琶湖沿いでフェージング多発区間であった。その対策(回線の品質向上も兼ねて)として琵琶湖東岸から離れたルートと比叡山を通るルートが計画されたが予算の都合上、後者となった。
ルート改良により音羽山反射板が廃止、京都-大阪が支線化、米原-比叡山-大阪は反射板が無いルートとなった。

当初はどこにあるのか全く分からなかったが、ある日地図を眺めているとそれらしき場所の見当がついたので後日行ってみた。

車一台が通れそうな幅員の道。
20110209-01.jpg

「キタァー!!」(千葉繁風)
20110209-02.jpg

当然更地化済み
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2011/02/05 (Sat) 00:15
昭和34年4月、東京-大阪間開通。東京から見て最初の中継所で、距離は約80km。見通し外通信を除けば比較的長いほうである。
現在は保守用無線の基地局となっている。
20110204-01.jpg

双子山。一番大きい鉄塔が箱根駅伝開催時に臨時回線が構成されるNTT双子山無線中継所。
20110204-02.jpg

見事な富士山
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無線中継所の写真撮るのと小田急の特急に乗るために箱根に行くとはなぁw
20110204-04.jpg

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2011/01/31 (Mon) 01:17
昭和37年10月新設。昭和41年3月には東札ルートの宇都宮との間にもSHF回線が開通した。
現在の鉄塔は宇都宮と同様に新幹線の建設に伴い支障移転したもの。
20110131-01.jpg

高崎支社ビルと国土交通省の無線鉄塔
20110131-02.jpg

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2011/01/10 (Mon) 23:05
東京-国立PCMの中継所として新宿初の高層ビルである京王プラザホテルの屋上に設置。
当時、京王プラザホテルのある地域(新宿副都心)は今後も続々と高層ビルの建設の予定があり、無線局の設置が規制されていた。伝搬障害防止区域の指定をするとそれらの建設に支障をきたす恐れがあったが国鉄サイドは「伝搬障害防止区域の申請はしませんし、何か起きたら起きたで自己責任で対応します。ま、予備ルートも設置するし」ということで無線局免許を受けたらしい。

赤白の柱の左にある黒い建物が当該と思われる。
20110110-01.jpg

現在は他のところが使っているみたい。
20110110-02.jpg

京王プラザホテルの屋上に国鉄の無線局があったことはあの半田健人氏も知らんだろうな

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2011/01/06 (Thu) 02:20
昭和38年7月16日に建築基準法が改正され高層建築が可能となった。
東京丸の内の本社にある東京総括無線中継所には東門ルートの駒ケ岳向けと、東札ルート・東潟ルートの筑波山向けの2ルートがあったが両方とも高層ビルの建築により支障する旨の通知を受けため対策を講じる必要が出てきた。その対策として東京タワーに無線設備を移設することにした。
昭和41年9月に無線機を大展望室の上にある部屋へ、アンテナは地上から140mと150mのところに設置した。無線機と本社機器室にある端局との間は同軸ケーブルで接続した。ケーブルルートは電電公社の管路・国鉄の沿線を通るルートと、営団地下鉄の管路を通るルートの2ルート構成とした。
その後、東潟ルートが独立、東京-国立PCMの新設によりピーク時には5方面向けのルートを擁する重要拠点となった。
20110106-01.jpg

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2011/01/02 (Sun) 01:28
昭和33年8月、名古屋-大阪開通。昭和43年3月、比叡山局新設により米原-京都が廃止、京都-大阪が支線として廃止まで残った。
20110102-01.jpg

20110102-02.jpg

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2010/12/14 (Tue) 21:08
昭和32年、米原-敦賀が国鉄初のSS-FM方式として開通。田村-敦賀が交流電化されるためで、送電が始まると沿線の通信線が誘導により使用はもちろん、撤去も難しくなるということでその代わりの通信手段として整備された。翌年には名古屋-大阪が開通、敦賀・名古屋・京都(後に比叡山)の3方向の無線中継所となった。

保守区が変わる毎に修正されて使われ続けた看板。
20101212-01.jpg

マイクロウェーブが出たての頃は常駐して保守していたため居住スペースが確保されていた。
今まで訪問したところでは函館山六甲がこれに該当)
20101212-02.jpg

パラボラアンテナを取り付けていたアングル架台が今でも残る。
20101212-03.jpg

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