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2011/03/04 (Fri) 01:52
個人的には大ニュース
総務省の無線局情報検索で青森-函館のソフトバンクテレコムがヒットしない。どうも廃止になったらしい。
新幹線の新函館開業までには廃止を含めた何かしらの動きがあるだろうとは推測していたが意外と早かった。

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適当に解説
1.SHF以前
 大正時代の長波による電信回線が始まりで国鉄の全ての無線の始祖であったりする。その後、中波、短波と周波数を上げていき、昭和22年にはUHFを使用した多重無線3回線を導入した。
 昭和25年には機構改正が実施され青函間の通話が増大したため6回線に増強、さらに無線機を1システム増やして12回線としたものの供給が追いつかない状況であった。
 国鉄は解決策として海底ケーブルを敷設するか、やっぱり無線にするかで悩んだが、海底ケーブルは導入に8億円必要で業務目的としては高すぎるのでボツ、SHFの多重無線を導入する方向とした。SHFは欧米では流行っていたが日本では電電公社の研究所(通研)あたりが導入に向けて研究中で実用化はされていなかった。

2.SHF回線の導入
 通信方式は小容量の通話回線には経済的で研究が進んでいたPPM(パルス位相変調)を採用した。昭和18年ぐらいに東北帝大(今の東北大学)で実験が行われて成功し、戦後には通研が実用化の一歩手前まで来ていたものの目的であるテレビジョン信号の伝送ができないことから研究を打ち切った。
 周波数は4GHzを採用。海上伝播はフェージングの影響を受けやすいので技術が進んでいた欧米ですら実用化されておらず、データも少ないため青函間で1ヶ月間通研の協力の下、試験電波を発射した。結果は、通研「本当にやる気か?」 国鉄「大丈夫だ、問題ない」。なんと思い切りの良いことか。
 ルートは青森-蟹田-函館山-桔梗とし、青森と蟹田は見通しを確保するためコンクリートタワー、函館山はUHF多重の時の局舎を建て替えた。青森と蟹田は当時の建物は現存しないが函館山はそのままで21世紀に入り廃止されるまで無線中継所として陰で活躍した。結構貴重かもしれんなぁ。
 こうして青函SHF回線は昭和27年10月に日本で初めてのSHFの実用化回線として開通した。費用は1億5千万円だったらしい。このことは業務用の通信手段として安価に導入できることを示しており、これに続いて電力会社などの民間企業、警察等の公共団体がSHF回線を導入していった。
 SHFによる電話回線は音質・音量とも良く、ユーザからは好評であった。その陰では初めてお目にかかる技術ばかりで保守には相当苦労したらしい。フェージングの影響はやっぱりあったそうだ。
 昭和29年9月の洞爺丸台風でアンテナが破壊されて回線断になったが、関係者の機敏な対応により短時間で回復、災害対応の情報連絡で大いに役に立ったという。この事象が沿線の風物詩?であったいわゆるハエタタキに架設された長距離の通信線をSHFで置き換える要因のひとつとなった。

3.幹線ルートの整備
 国鉄近代化計画の一環で本社-支社(札幌、仙台、新潟、名古屋、大阪、広島、門司)間にSHF回線を建設することが決定された。いわゆる幹線系マイクロである。通信方式・周波数はSS(FDM)-FM・7GHz。昭和32年2月開通の東京-宇都宮間を皮切りに順調に区間を拡大、昭和35年9月には仙台-青森間が開通、先に開通していた函館-札幌間を含めて東札ルートが完成、札幌から鹿児島がSHFで結ばれた。同時に幹線系と同じルート予備方式で回線の信頼度に重きをおいた無線機が設置され、数ヵ月後初代の無線機が撤去された。10年足らずでここまでこぎつけるとは技術の進歩は早いものである。
 初代とは異なった設計思想である幹線系をもってしてもフェージング対策にはならなかったようである(特に青森-蟹田)

4.ルート変更
 昭和30年代の終わりからマルスをはじめとしたオンライン処理のコンピューターシステムが新設された。電話回線を使用してデータ通信を行うもので、長距離となると当然SHF回線を経由した。幹線系マイクロの整備方針であった「信頼度に重きを置いて、回線品質は二の次」ではデータ通信に不利なため回線品質の向上及び増強を行った。
 青函SHF回線は昭和35年9月に東札ルートに組み込まれて幹線系と同じ無線機に切り替えられたが、青森-蟹田が特に初代に引き続きフェージングに悩まされた。そこで回線の品質向上を目指してルート変更を行うこととした。
 油川の西方約10kmに源八森という山があり、そこに反射板を新設、昭和43年10月に青森-源八森反射板-蟹田と海上を通らないルートに変更し、さらに240chから960chに増強した。この効果はてきめんだったという。
 幹線ルートから函館へは桔梗からケーブルでアプローチしていたが、回線品質の向上目的で昭和44年3月、函館山-函館に12GHz帯を使用した回線を新設、ケーブルによるアプローチを廃止した。

5.分割民営化から廃止まで
 昭和62年4月、国鉄は分割民営化され、SHF回線は鉄道通信が引き受けた。その後日本テレコムと合併、紆余曲折を経て現在のソフトバンクテレコムと名を変える。民営化後、メタルケーブルを使用した搬送(S-MUX、EMPLXいろいろ)や光ファイバーケーブルの整備により全国を縦断していたSHF回線は順次廃止されていく一方、青函間のSHF回線は諸事情により残り続けたが平成22年11月下旬から平成23年1月中旬の間、遂に廃止となった。
 話は昭和63年3月に戻る。青函トンネルを含んだ津軽海峡線が開業した。沿線に敷設した光ファイバーケーブルをメインの通信回線として使用したが、何らかのトラブルに備えて重要回線をSHFに収容したそうだ。さらに建設中は函館から現場事務所のある竜飛・吉岡の通信回線の一部に函館山-函館のSHF回線が使用されたらしい。新しい技術の登場である程度将来が決まっていたSHFにとっては最後の大仕事だったかもしれない。
 なかなか廃止されなかったのも津軽海峡線の通信回線の迂回を担っていたという特殊な事情があったと推測される。迂回回線の収容先が見つかったから(迂回無しというのはまあ、ありえないだろう)お役御免になった・・・、と。
 開通時は通信業界の注目を浴び、その後は本州と北海道を結ぶ国鉄の通信路として重要な役割を果たした青函SHF回線も技術史の一部として語られるのみとなった。廃止になった詳細な日などを知る術は私には無い。

資料:
青森-蟹田-函館山-函館プロフィール
20110317-01.png

各局へのリンク
青森:http://mrj501.blog.shinobi.jp/Entry/426/
源八森反射板:http://mrj501.blog.shinobi.jp/Entry/456/
蟹田:http://mrj501.blog.shinobi.jp/Entry/455/
函館山:http://mrj501.blog.shinobi.jp/Entry/411/
函館:http://mrj501.blog.shinobi.jp/Entry/413/
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