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Mr.Jのブログ
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2024/05/13 (Mon) 04:23
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2011/10/20 (Thu) 08:41
昭和45年4月、東京-仙台の960ch化とルート改良に伴い新設。東京タワー-登谷山-高崎のルートとなり筑波分岐は廃止された。

山頂への道路はすっごい傾斜・・・
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SHF廃止後も保守用の無線の基地局として残っている。上のコーナーレフレクタアンテナは高崎向けかもしんない。
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頂上付近には秩父鉄道の無線局と廃止された謎の無線局がある。
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2011/10/18 (Tue) 23:52
昭和33年2月に開通した東京-宇都宮を皮切りに東京の本社を起点とした幹線系が続々と開通し、約2年後の昭和35年9月には札幌から鹿児島までがSHFで結ばれた。
昭和41年9月、高層ビル対策として本社の無線機を東京タワーに移設し本社の端局装置との間はケーブルで構成。
昭和47年4月、東京-国立開通により本社に再び無線機が設置された。
昭和49年5月、東門第二ルート用として東京-東京タワーに12GHz・1200chの回線を新設。ケーブルは東門ルート・東札ルートで使われていて、危機分散の観点から無線を採用した。

民営化後はJR東日本が本社として使用していたが平成7年に新宿に移転、それに伴い東京タワーを中心とした幹線系の一部区間と東京-国立が廃止された。現在は丸の内オアゾが建っている。
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2011/10/13 (Thu) 08:39
函館-札幌にSHF回線が新設される以前は沿線に架設された通信線(裸線)がその役割を担っていた。しかし雪害、海沿いの区間に至ってはそれに加えて塩害で断線又は混線により通信に影響をきたしていて、それに伴う復旧費も結構な額だったそうだ。
その対策として効果的かつ経済的なものを議論した結果、各地で導入されていたSHF回線を採用、昭和32年6月に函館(桔梗)-札幌が開通した。6GHz帯・PAM-FM方式・23chであった。
昭和35年9月、幹線系の無線機に取替。回線数は60ch(他の区間は180ch)。
昭和55年3月、室蘭本線・千歳線の電化・CTCに伴い室蘭-札幌960ch化。室蘭-東室蘭・早来-苫小牧新設。

場所は駅から西側の現在はヨドバシカメラが建っているところにあった。
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1980年代終わりの札幌高架工事により本社西ビルに移転、2000年代に廃止される。
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これにて北海道編は終了です。

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2011/10/05 (Wed) 08:19
昭和55年3月新設。
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2011/09/28 (Wed) 08:40
函館-札幌SHF回線新設に先立って測量山-早来で伝播試験が実施された。この区間は海沿いで、同時に実施された測量山-桔梗のようにシールディングリッジが無いため予想以上のフェージングが観測された。対策としてスペースダイバーシティ受信を採用することとした。
昭和55年3月、無線機取替960ch化と苫小牧向けが新設。

場所はコロイ山の北西。現地に行ってみると携帯電話の基地局にしては豪勢?過ぎる鉄塔があった。千歳線・室蘭本線の電化・CTCに伴い建てられたものである。局舎は既に取り壊されて更地となっていた。
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2011/09/26 (Mon) 19:50
昭和55年3月、電化・CTCに伴い新設。ルート上にある製鉄所の排煙がフェージングの原因になるのではないかという懸念があったが、運用開始後はそういう事象もなく杞憂に終わった。
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2011/09/25 (Sun) 23:59
昭和32年6月、函館(桔梗)-札幌の無線局として使用開始。この当時の名称は測量山を名乗っていた。
桔梗-測量山は海上を通るルートでフェージングが心配されたが、伝播試験を実施してみると駒ケ岳の裾がシールディングリッジとなり結果は良好であった。
この局では回線の分岐挿入が採用、室蘭駅向けでケーブルにより回線構成された。
昭和35年9月、仙台-札幌開通により東札ルートが完成。既設の青森-札幌も幹線系の無線機が導入されたがルートの変更は行われなかった。
昭和55年3月、千歳線・室蘭本線の電化・CTCに伴い無線機の老取および960ch化、東室蘭向け新設が行われた。この時に測量山から室蘭へ改称した。この時に室蘭駅向けへの分岐挿入は廃止されたものと思われる。

室蘭駅から撮影、夜になるとライトアップされるらしい。
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現在の鉄塔は電化・CTCに伴い新設されたものと思われる。屋上設置が出来ない、地上設置も用地が足りなかった為か局舎を跨ぐように基礎を作って鉄塔を設置している。珍しい設置方法ではないかと。
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2011/09/15 (Thu) 08:39
回線品質の向上と回線増強を目的として昭和44年3月に函館山-函館が開通、場所は桟橋近辺と思われる。12GHz・300chが採用された。
その後、昭和59年には駅前再開発に伴い現在の場所に移転した。その時に960chに増強された。
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2011年8月6日撮影、パラボラアンテナ撤去
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2011/09/12 (Mon) 19:45
昭和29年9月、大阪-姫路・兵庫開通。東門ルート開通後も大阪-兵庫は残っていたが、昭和49年5月に老朽化のため六甲-兵庫は12GHz帯・120ch容量の無線機に取り替えられた。大阪-六甲は先に開通していた大阪-米子回線を六甲で2SG(120ch)だけ分岐、兵庫向けの無線機に接続した。
大阪からの距離の短さからか、分割・民営化後に真っ先に廃止になった。

無線局があったのは兵庫駅の南側。現在は区画整理・再開発されて跡形も無い。
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2011/09/08 (Thu) 08:45
2010年9月21日、新規
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1954年9月、大阪-六甲-姫路・六甲-兵庫が開通。この回線では当時開拓されていなかった6GHz帯の使用、六甲局での分岐挿入と六甲-姫路間の反射板による無き電中継という後々のマイクロウェーブ回線整備に用いられた技術がテストも兼ねて採用された。
昭和40年代の東門第2ルート開通時には第2ルートの中継局である粟鹿局と接続しループ構成を図った。
一番上の写真で説明すると左2つが大阪向け、右2つが姫路向け、上段のアンテナが粟鹿向け。

ここから2011年9月8日更新
ついにアンテナ撤去(停波して結構経つけど)。代わりに小さいパラボラアンテナと何かが設置されていた。アンテナの大きさから推測すると10GHz以上といったところか。教えて詳しい人。
20110908-01.jpg 20110908-02.jpg


新設当時の局舎は昔も今もこの無線局だけだろうと思われるガラス張りであった。既に観光地化していた六甲山の景観に配慮したものであった。しかし暴風雨で割れることが多かったため塞いでしまったそうだ。
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2011/09/07 (Wed) 08:29
災害に強い通信回線づくりとして九州地区、昭和30年代当時の制度で支社のある門司から熊本・大分・鹿児島の各管理局の通信をSHFで構成する計画を立てた。 昭和33年10月、門司-鳥栖増強に伴い発生品となった無線機を再利用して門司-中津-大分が開通。昭和41年9月にSS-FM方式の無線機に取替及び23ch→60chの回線増強が行われる。 昭和49年5月に東門第二ルート完成に伴い、門司-大分は東門第二ルートに吸収される形で廃止となった。その際に中津局の大分向け無線機を再進局に移設した。

2008年12月6日撮影
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2010年11月13日撮影
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九州編はひとまずこれで終了です。

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2011/09/04 (Sun) 23:16
当初は再進峠付近の523mピークを選定していたが地権者との折り合いがつかずで諦め、約400m南西の地を再度選定した。交渉は地権者側としては無線局新設に伴い自動車が通れる道路が作られることにより林業がし易くなるということでうまくいったという。
完成後、道路は自治体に移管されて林道の一部として現存している。

無線局はルートの廃止に伴い取り壊された。50m鉄塔が見る影も無い。
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少し捜索すると土留めに完成?年月が埋め込まれていた。野呂-門司の開通は昭和49年5月なのでこの場所で間違いない。かつてこの地に無線局があったことを示す最後の証。
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この看板が無ければ気づかずに通り過ぎていただろう。
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2011/09/02 (Fri) 08:21
ルートを書いてみた。西行きだけでも結構な数があるなぁ。胸熱!
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2011/09/01 (Thu) 08:43
昭和49年5月開通の東門第二ルートの無線局。 現在は取り壊されてその跡にはイーモバイルの基地局が建っている。
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国土交通省の無線局(だったと思う)。いっぱいついているホウキみたいなブツは避雷針のようなものらしい。
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2011/08/27 (Sat) 11:19
早岐-長崎のルート選定に悩まされるもそれを乗り越えて昭和41年9月、博多-長崎が開通。その後、ルート改良や回線増強もなく時が流れて国鉄末期に無線機の取替計画を進めていたが分割・民営化によりストップした。計画自体は鉄道通信、その後日本テレコムに引き継がれて平成3年にデジタルマイクロとして開通。国鉄時代からのSHF回線はデジタルマイクロに収容替えとなり廃止された。

1階が交換機室、2階が無線機室といったところか。列車無線のアンテナが建っているあたりに鉄塔があったと思われる。
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デジタルマイクロの無線局。今は携帯の基地局。
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長崎駅の高架化によりこの界隈の風景もガラリと変わるに違いない
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