2011/11/14 (Mon) 01:12
Comment
昭和40年
先日の続きで、とある技術者の方が残した往時の記録です。
-----------------------------------------
2.5 冬の美ヶ原で遭難しかける (昭和40年12月)
私は山登りには全く興味がありませんでした。ところが皮肉な事に、担当している製品が山頂の無線
中継所に設置するようなものが多かったので、現地試験のために山へ行かざるを得ませんでした。
今のように所内と現地の分業化ができていなかった時代です。
行った山は北海道から九州まで、いわゆる電波銀座と呼ばれる山(山頂に局舎やアンテナが林立
している山)ばかりですが、信州の美ヶ原もそのひとつでした。その日は冬のよく晴れた本当に雲ひと
つ無い好天気でした。
松本の局舎に居たとき、突然美ヶ原局の異常を示すランプが点灯したのです。直ぐに行かなければ
なりませんが、あいにくその日は客先側も車と人手の都合がつきませんでした。目の前にそびえ立つ
美ヶ原を見ていると、三城牧場という所までバスで行き、百曲がりというつづら折れの道を登れば何と
か行けそうに思えました。
美ヶ原といえば、標高2,000mクラスの山ですが、そこは経験のない悲しさ、軽装に弁当1個を持って
地図を頼りに無謀にも1人で登って行ったのです。そして夕方、山頂付近まで来たとき、急に天気が一
変しました。濃い霧が立ち込め全く前方が見えなくなってしまったのです。そればかりか雨まじりの風ま
で出てきました。
そして目の前に現れたのは遭難者のもの?と思われる幾つかのケルンでした。これは大変なことにな
ったと思いましたが、時既に遅しです。最悪ケルンの数がまたひとつ増えることにもなりかねません。
何せ美ヶ原は大変広い所で、360度どちらの方向へも行けます。必死の思いで手探りの歩行が続き
ました。その内ふと何かに当たったので立ち止まると有刺鉄線でした。
そういえば山頂の牧場にそのようなものが張ってあるのを見た覚えがあります。これを辿っていけば
どこかへ行けそうです。問題は右へ行くか左へ行くかでした。必死に考えた末、左へ行く事にしました。
これが正解でした。
間もなく山頂の山小屋に着いてホッとしました。下ではいつまで経っても着かないので大騒ぎをしてい
ましたが、やっと連絡がついて事なきを得ました。
2.6 美ヶ原での局舎暮らし (昭和40年12月)
厳冬の美ヶ原で中継局舎へ3日ほど単身で泊まったことがあります。
外は猛烈な吹雪で気温は-10℃以下でした。室温も+5℃くらいしか上がりません。炊事場などは
凍結したままで、2段ベッドのある部屋も凍りついています。
これで静かだったら気がおかしくなったかも知れませんが、幸い打ち合せ回線からは下界の声がバン
バン聴こえていたので、まあなんとか辛抱出
来ました。
-----------------------------------------
-----------------------------------------
2.5 冬の美ヶ原で遭難しかける (昭和40年12月)
私は山登りには全く興味がありませんでした。ところが皮肉な事に、担当している製品が山頂の無線
中継所に設置するようなものが多かったので、現地試験のために山へ行かざるを得ませんでした。
今のように所内と現地の分業化ができていなかった時代です。
行った山は北海道から九州まで、いわゆる電波銀座と呼ばれる山(山頂に局舎やアンテナが林立
している山)ばかりですが、信州の美ヶ原もそのひとつでした。その日は冬のよく晴れた本当に雲ひと
つ無い好天気でした。
松本の局舎に居たとき、突然美ヶ原局の異常を示すランプが点灯したのです。直ぐに行かなければ
なりませんが、あいにくその日は客先側も車と人手の都合がつきませんでした。目の前にそびえ立つ
美ヶ原を見ていると、三城牧場という所までバスで行き、百曲がりというつづら折れの道を登れば何と
か行けそうに思えました。
美ヶ原といえば、標高2,000mクラスの山ですが、そこは経験のない悲しさ、軽装に弁当1個を持って
地図を頼りに無謀にも1人で登って行ったのです。そして夕方、山頂付近まで来たとき、急に天気が一
変しました。濃い霧が立ち込め全く前方が見えなくなってしまったのです。そればかりか雨まじりの風ま
で出てきました。
そして目の前に現れたのは遭難者のもの?と思われる幾つかのケルンでした。これは大変なことにな
ったと思いましたが、時既に遅しです。最悪ケルンの数がまたひとつ増えることにもなりかねません。
何せ美ヶ原は大変広い所で、360度どちらの方向へも行けます。必死の思いで手探りの歩行が続き
ました。その内ふと何かに当たったので立ち止まると有刺鉄線でした。
そういえば山頂の牧場にそのようなものが張ってあるのを見た覚えがあります。これを辿っていけば
どこかへ行けそうです。問題は右へ行くか左へ行くかでした。必死に考えた末、左へ行く事にしました。
これが正解でした。
間もなく山頂の山小屋に着いてホッとしました。下ではいつまで経っても着かないので大騒ぎをしてい
ましたが、やっと連絡がついて事なきを得ました。
2.6 美ヶ原での局舎暮らし (昭和40年12月)
厳冬の美ヶ原で中継局舎へ3日ほど単身で泊まったことがあります。
外は猛烈な吹雪で気温は-10℃以下でした。室温も+5℃くらいしか上がりません。炊事場などは
凍結したままで、2段ベッドのある部屋も凍りついています。
これで静かだったら気がおかしくなったかも知れませんが、幸い打ち合せ回線からは下界の声がバン
バン聴こえていたので、まあなんとか辛抱出
来ました。
-----------------------------------------
Re:昭和40年
これはすごい! 似たような記録がいっぱい埋もれているんだろうなぁ
カレンダー
01 | 2025/02 | 03 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
リンク
カテゴリー
最新コメント
[03/20 藤井 敬三]
[03/19 藤井 敬三]
[10/31 藤井 敬三]
[09/28 NONAME]
[07/01 はてじ]
[04/25 とおりすがり]
[04/25 とおりすがり]
[04/16 とおりすがり]
[04/13 とおりすがり]
[04/13 とおりすがり]
最新記事
(12/27)
(08/03)
(06/10)
(04/27)
(02/14)
(01/13)
(12/22)
(11/03)
(10/31)
(10/06)
経県値
プロフィール
HN:
Mr.J
性別:
男性
ブログ内検索
アーカイブ
アクセス解析