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2015/04/20 (Mon) 17:25
続いて小さいほうの建屋を探索。

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機器搬入の為の大きく開口した入り口・丸い形の吹き抜け・電線を引き込むための穴、どんな機器を収容していたのかは分かりません。
2階では40年以上前の換気扇が風を受けて勢いよく回っていた。
 

床には撤去忘れの物・昭和40年代の新聞・局報・運転日誌・ペンレコーダーの紙が放置されていた。


昭和45年3月14日の名古屋営業局報
 

興味深いのは運転日誌、しかも昭和20年のものが残されていました。
ここから読み取れるのは、特高受電は高田系と中川系の2系統4回線で、この日誌の最初の方は交互に受電していたがある時から中川系に固定されました。
高配は滝谷動力線という名称でたまに送電しない日もあったようです。
整流器はA、B、Cの3台で1日ごとに使用する整流器を変えていました。
警戒警報・空襲警報・召集令状が届いたので挨拶回りに来た・身体検査で落ちた・空襲で負傷したという文章を見ると戦争が身近にあったことを思い知らされるます。
Listener's blogさんより、昭和19年の運転日誌も残っていたようですが見つかりませんでした。
近鉄さん、ここに放置する代物では無いと思いますが?

時は流れて昭和32年4月13日の運転日誌。1時間ごとの電力量や変圧器や整流器の状態を記録するため用紙サイズは大きくなりました。電車の高性能化・運転本数の増加の為か、整流器の運用も変化して2台運転、3台運転を実施する時間帯も出てきました。
 

隣の部屋は冷却水を貯めておくための貯水槽だったようです。階段を下りてみましたが床が抜けそうなのですぐに撤収。。。

 
 

最後に門型鉄塔を目指します。
 

鉄塔がやたら綺麗に見えるのは新線切り替え後も新しい東青山変電所への送電ルートとして使われたためと思われます。アメマのおとしものさんに送電線が写った写真が掲載されています。2013年頃に設備の取替え時期に合わせてケーブル化又は単独受電化されたようです。
 

 

奥にある門型鉄塔には避雷器が残されていました。
 

撮影:2015年4月
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撤去忘れの品々に興味津々
とおりすがり 2015/04/20(Mon)21:36:15 編集
昭和20年とはたまげました。時空を越える遭遇とはまさにこのことですね。山奥の中継所も此の手のものが出やすいと聞いています(一部体験)。が、も耐久年数が違うので出てくるものが段違い。それにしても紙といい銘板といい、昔のモノはしっかりしてますわ。いいものを見させていただきました。ありがとうございます。
Re:撤去忘れの品々に興味津々
Mr.J 2015/04/21 00:55
旧東青山駅と旧東青山変電所は元々行く予定ではなかったのであまり探索に時間をかけることができませんでした。旧線を含めて改めて探索する必要があるので、その時にこの変電所もじっくり探索してみようと考えています。
昭和20年の日誌も8月中旬以降は無くなっており上と下の紙は水分でインクが滲んで字が読めない状況です。
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