2015/04/11 (Sat) 23:37
<2015年3月18日・新規>
<2015年3月20日・追加>
秋田駒ケ岳の南側、岩手県と秋田県の境に位置する笹森山に建てられた盛岡-神代の反射板。
県道国見温泉線の途中から撮影。この県道はもともと国道だったらしい。冬季は積雪のため通行止めとなる。
国見温泉の近くに車を停めて徒歩で移動、最初に川を渡る。道中はこんな感じ。
写真が多いので続きがあります。
<2015年3月20日・追加>
秋田駒ケ岳の南側、岩手県と秋田県の境に位置する笹森山に建てられた盛岡-神代の反射板。
県道国見温泉線の途中から撮影。この県道はもともと国道だったらしい。冬季は積雪のため通行止めとなる。
国見温泉の近くに車を停めて徒歩で移動、最初に川を渡る。道中はこんな感じ。
国見温泉から30分ほどで目的地に到着。50年以上厳しい気候に耐えてきた擁壁はひび割れて隙間ができている。
神代向けの反射板。
このロープは反射板への着雪を防止するためのもので、反射板の前に複数垂らしておき、風の力で反射板に当てて着雪を防止するようになっている。
大抵は取り付けられている筈の反射板の銘板が無くなっている。廃止の際に取り外したのだろうか? この反射板に思い入れのある人が持っていることを願う。
基礎は経年の割にはあんまり痛んでないように見える。
盛岡向けの反射板。錆は長い間厳しい環境を耐え抜いてきた証。昭和30年代半ばに建てれたもので同世代の反射板はいくつも見てきたが、この反射板が一番錆が進んでいる。
反射板を後ろから見上げてみた。単位反射板をどのように固定しているのかよくわかる。
反射板兄弟?写真
国見温泉に戻り石塚旅館で汗を流す。バスクリン(失礼!)みたいな色してた。でもいい湯でした。温泉に浸かった後は秋田駒ケ岳の湧水を頂く。
旅館の中の人と話をしていたら、「笹森山にある反射板のために山に登るのはあなたが初めて」とのこと。私にとっては誉め言葉であるw
反射板にまつわる話
東札ルートのうち東京から盛岡までは決まっていて、青森から札幌は既存のルートを活用することが決まっていた。あとは盛岡から青森までのルートをどうするかであった。
盛岡からそのまま北上した場合、通信物語で説明されてるように山々に阻まれて不経済な無線局配置となる。一方、秋田経由のルートの場合、鉄道管理局のある秋田は勿論、大館・弘前でも回線の分岐・挿入が可能となるが奥羽山脈を越えなければならない。
秋田鉄道管理局はSHF回線がそのまま北上した場合、通信回線の増強は後回しになるだろうという危機感から独自で調査を行った。その甲斐あって秋田経由が決定した。
問題の奥羽山脈越えは秋田駒ケ岳に反射板を設置することとしたが、本社の偉い人が「着雪を当然考えねばならないだろう」という発言から急遽、昭和32年冬に標高1300m付近に仮設の反射板の設置工事を実施し年末になんとか完成、当時八合目にあった硫黄鉱山をベースとして着雪状況の調査を行った。
当時の交通事情は鉄道は大曲から生保内(現在の田沢湖)までの生保内線、道路は旧道の方の国道46号線が開通工事中ぐらいであった。交通事情及び冬季の工事であったことを考えると仮設とはいえ相当な苦労があったと思われる。現地で観察するだけでも雪崩・遭難と死と隣り合わせであった。 調査の結果、反射板にビッシリと着雪が認められ反射板として機能するか疑わしい状況であった。その結果と硫黄鉱山の過去の気象状況から再検討した結果、着雪が発生しにくくて、かろうじて奥羽山脈越えができる笹森山が選ばれて、再度反射板を仮設して着雪状況の調査を実施するのに加えて盛岡と生保内の間で伝播試験を行うことが決まった。笹森山は当時の地図では笹森峠と記されており冬は猟師ぐらいしか通らないようなところであった。調査は前回と同様に泊り込みで行うこととし、ベースは冬季は閉鎖して無人になる国見温泉・石塚旅館が選ばれた。尚、石塚旅館は現在も営業しており冬は閉鎖するのも変わらない。電話も衛星電話しか使えないまさに秘境、実際に来て見て入ることを強くお勧めします。
仮設の反射板は昭和33年の11月末に設置を終え、12月から伝播試験を、1月から石塚旅館で泊り込みでの着雪状況の調査を開始した。泊り込みは3人1組、2週間交代で行われ、役割は2人が1日2回反射板へ向かい着雪状況の調査、もう1人は旅館に残り地上との連絡及び気象観測を行った。2度目の調査も当然命懸けで雪崩に巻き込まれたこともあったとのことである。 伝播試験の結果、特に問題は認められず笹森山に反射板を、秋田側の無線局の場所も笹森山が見通せる神代駅の近くに設置することが決まった。
工事は昭和34年から着手した。資材の運搬はヘリコプターの使用も検討されたが理由は定かではないが採用されず、笹森山から最も近い集落(それでも徒歩で4時間かかる!)、橋場集落から人の手で運ぶことになり、集落の人総出で運搬にあたったとのことである。昔だからマルな話であって今なら間違いなくアウトである。
擁壁の施工が11月になってしまったため、隙間に詰めたセメントがボロボロになって急遽詰め直すというトラブルがあったものの反射板は完成、昭和35年の4月末から5月にかけて角度調整を行った。春とはいえまだ雪が残る中での調整となった。調整が終了した時の喜びは何にも代え難いものであることが想像できる。
昭和35年9月1日、盛岡-神代を含む仙台-札幌が開通すると同時に岡山-門司も開通し北海道から九州がSHFでつながった。
昭和40年の年末に着雪と原因と思われるレベル低下が発生、年明けに悪天候の合間にヘリコプターで巡視を行ったところ反射板に着雪が認められため、急遽除雪作業を実施した。この事象を受けて昭和41年にロープを利用した着雪防止装置を設置した。これ以降は着雪による伝播路支障は発生していない。
開通から50年以上が経過し反射板としての役目はすでに終えているが現在も笹森山の地に残り続けている。
撮影:2011年6月、2012年9月
神代向けの反射板。
このロープは反射板への着雪を防止するためのもので、反射板の前に複数垂らしておき、風の力で反射板に当てて着雪を防止するようになっている。
大抵は取り付けられている筈の反射板の銘板が無くなっている。廃止の際に取り外したのだろうか? この反射板に思い入れのある人が持っていることを願う。
基礎は経年の割にはあんまり痛んでないように見える。
盛岡向けの反射板。錆は長い間厳しい環境を耐え抜いてきた証。昭和30年代半ばに建てれたもので同世代の反射板はいくつも見てきたが、この反射板が一番錆が進んでいる。
反射板を後ろから見上げてみた。単位反射板をどのように固定しているのかよくわかる。
反射板兄弟?写真
国見温泉に戻り石塚旅館で汗を流す。バスクリン(失礼!)みたいな色してた。でもいい湯でした。温泉に浸かった後は秋田駒ケ岳の湧水を頂く。
旅館の中の人と話をしていたら、「笹森山にある反射板のために山に登るのはあなたが初めて」とのこと。私にとっては誉め言葉であるw
反射板にまつわる話
東札ルートのうち東京から盛岡までは決まっていて、青森から札幌は既存のルートを活用することが決まっていた。あとは盛岡から青森までのルートをどうするかであった。
盛岡からそのまま北上した場合、通信物語で説明されてるように山々に阻まれて不経済な無線局配置となる。一方、秋田経由のルートの場合、鉄道管理局のある秋田は勿論、大館・弘前でも回線の分岐・挿入が可能となるが奥羽山脈を越えなければならない。
秋田鉄道管理局はSHF回線がそのまま北上した場合、通信回線の増強は後回しになるだろうという危機感から独自で調査を行った。その甲斐あって秋田経由が決定した。
問題の奥羽山脈越えは秋田駒ケ岳に反射板を設置することとしたが、本社の偉い人が「着雪を当然考えねばならないだろう」という発言から急遽、昭和32年冬に標高1300m付近に仮設の反射板の設置工事を実施し年末になんとか完成、当時八合目にあった硫黄鉱山をベースとして着雪状況の調査を行った。
当時の交通事情は鉄道は大曲から生保内(現在の田沢湖)までの生保内線、道路は旧道の方の国道46号線が開通工事中ぐらいであった。交通事情及び冬季の工事であったことを考えると仮設とはいえ相当な苦労があったと思われる。現地で観察するだけでも雪崩・遭難と死と隣り合わせであった。 調査の結果、反射板にビッシリと着雪が認められ反射板として機能するか疑わしい状況であった。その結果と硫黄鉱山の過去の気象状況から再検討した結果、着雪が発生しにくくて、かろうじて奥羽山脈越えができる笹森山が選ばれて、再度反射板を仮設して着雪状況の調査を実施するのに加えて盛岡と生保内の間で伝播試験を行うことが決まった。笹森山は当時の地図では笹森峠と記されており冬は猟師ぐらいしか通らないようなところであった。調査は前回と同様に泊り込みで行うこととし、ベースは冬季は閉鎖して無人になる国見温泉・石塚旅館が選ばれた。尚、石塚旅館は現在も営業しており冬は閉鎖するのも変わらない。電話も衛星電話しか使えないまさに秘境、実際に来て見て入ることを強くお勧めします。
仮設の反射板は昭和33年の11月末に設置を終え、12月から伝播試験を、1月から石塚旅館で泊り込みでの着雪状況の調査を開始した。泊り込みは3人1組、2週間交代で行われ、役割は2人が1日2回反射板へ向かい着雪状況の調査、もう1人は旅館に残り地上との連絡及び気象観測を行った。2度目の調査も当然命懸けで雪崩に巻き込まれたこともあったとのことである。 伝播試験の結果、特に問題は認められず笹森山に反射板を、秋田側の無線局の場所も笹森山が見通せる神代駅の近くに設置することが決まった。
工事は昭和34年から着手した。資材の運搬はヘリコプターの使用も検討されたが理由は定かではないが採用されず、笹森山から最も近い集落(それでも徒歩で4時間かかる!)、橋場集落から人の手で運ぶことになり、集落の人総出で運搬にあたったとのことである。昔だからマルな話であって今なら間違いなくアウトである。
擁壁の施工が11月になってしまったため、隙間に詰めたセメントがボロボロになって急遽詰め直すというトラブルがあったものの反射板は完成、昭和35年の4月末から5月にかけて角度調整を行った。春とはいえまだ雪が残る中での調整となった。調整が終了した時の喜びは何にも代え難いものであることが想像できる。
昭和35年9月1日、盛岡-神代を含む仙台-札幌が開通すると同時に岡山-門司も開通し北海道から九州がSHFでつながった。
昭和40年の年末に着雪と原因と思われるレベル低下が発生、年明けに悪天候の合間にヘリコプターで巡視を行ったところ反射板に着雪が認められため、急遽除雪作業を実施した。この事象を受けて昭和41年にロープを利用した着雪防止装置を設置した。これ以降は着雪による伝播路支障は発生していない。
開通から50年以上が経過し反射板としての役目はすでに終えているが現在も笹森山の地に残り続けている。
撮影:2011年6月、2012年9月
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Comment
Re:無題
お! わざわざマイナーなブログに起こしいただきありがとうございます。
次は日帰り入浴だけでなく泊まってみたいもんです。
次は日帰り入浴だけでなく泊まってみたいもんです。
楽しみにしてました。
冬になると、いつ記事にするのかチェックしてたんですよ。
嬉しくって思わず ...
営業が始まると、いつも目の前の笹森山に紅葉の時期に行けますようにと願いながら 仕事に励んでます。
機会がありましたら、また、笹森山の頂上を楽しんで、
ついでに、温泉も!
嬉しくって思わず ...
営業が始まると、いつも目の前の笹森山に紅葉の時期に行けますようにと願いながら 仕事に励んでます。
機会がありましたら、また、笹森山の頂上を楽しんで、
ついでに、温泉も!
Re:楽しみにしてました。
いやー、大変お待たせいたしました。f^_^;)
記事の中身も反射板が主役で石塚旅館さんはあまり出てこなかったことをお許しください。
記事の中身も反射板が主役で石塚旅館さんはあまり出てこなかったことをお許しください。
反射板の歴史
Mr.Jさんは、温泉マニアではありませんので...
私は今回、反射板の歴史を知ることが出来て とても嬉しく思っています。夫は子どもの頃からあると知っていましたが、それ程詳しくは知っていませんでした。昭和33年頃の状況は今となっては、誰が憶えているかしら?というのが現実です。
ありがとうございます。感謝の気持ちでいっぱいです。
私は今回、反射板の歴史を知ることが出来て とても嬉しく思っています。夫は子どもの頃からあると知っていましたが、それ程詳しくは知っていませんでした。昭和33年頃の状況は今となっては、誰が憶えているかしら?というのが現実です。
ありがとうございます。感謝の気持ちでいっぱいです。
Re:反射板の歴史
マニアではありませんが温泉は好きです。2回ともそちらの温泉に入る時間も込みで予定を組んでましたんで。反射板の歴史に関しては記録があったお陰です。先達の方々に感謝、感謝です。
Mr.J様へ
うちのブログを見ていただいて、ありがとうございます。
笹森山に行くと私の場合は反射板を観察せず、山ばかりです(^.^;
今の反射板と違うような気もしますが、映り込んでいる山並みから
笹森山と判断しました。
他の古い写真もみても、笹森山にあるらしい反射板が現在のものと違うように見えます?!
笹森山に行くと私の場合は反射板を観察せず、山ばかりです(^.^;
今の反射板と違うような気もしますが、映り込んでいる山並みから
笹森山と判断しました。
他の古い写真もみても、笹森山にあるらしい反射板が現在のものと違うように見えます?!
Re:Mr.J様へ
反射板をよく使うのは官公庁や電力会社ですが、光ファイバーの導入やルート変更で廃止されたり、違う場所に新たに建てたりしているので現存しないかもしれません。
もしかすると、ここによく来られるとおりすがり氏なら何かご存知のような気がします。
もしかすると、ここによく来られるとおりすがり氏なら何かご存知のような気がします。
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