2013/04/08 (Mon) 23:04
昭和37年9月の開通時には重山(かさねやま)に設置されていたが自動車で行けるのは途中までで、そこからは徒歩での行き来を余儀なくされていた。昭和53年1月の老取・増強の際に重山から番所山へ移転した。
まずは新由良無線局から。白崎青少年の家の近くにある。最初から番所山に設置しなかったのは当時、番所山には何も無く道路から作る必要があったのでそれなら頂上に寺があり一応道もあった重山を選んだか、番所山に設置しようとしたけど断られたから重山に・・・、といったところだろうか。今となっては定かではないが。
続いて重山に移動。紀伊防備隊の鎮魂碑に手を合わせてから山登り開始。
確かに途中までは小型の四駆なら通れそうな道幅があるものの、石が沢山転がっていて今となっては厳しそう。(写真無し)
そこからは急に狭くなっていつもの登山道である。普通の人が重い資機材担いで行き来するのは確かに厳しく保守者泣かせである。(これも写真無し)
開けた場所から由良港を撮影。
頂上に到着。取り壊しも難しいので鉄塔だけ撤去してあとは放置プレイ。
ちょいとおじゃましますよ。左が電源室、右が無線室といったところか。
番所山から重山に移動途中に湧き水をいただく。
まずは新由良無線局から。白崎青少年の家の近くにある。最初から番所山に設置しなかったのは当時、番所山には何も無く道路から作る必要があったのでそれなら頂上に寺があり一応道もあった重山を選んだか、番所山に設置しようとしたけど断られたから重山に・・・、といったところだろうか。今となっては定かではないが。
続いて重山に移動。紀伊防備隊の鎮魂碑に手を合わせてから山登り開始。
確かに途中までは小型の四駆なら通れそうな道幅があるものの、石が沢山転がっていて今となっては厳しそう。(写真無し)
そこからは急に狭くなっていつもの登山道である。普通の人が重い資機材担いで行き来するのは確かに厳しく保守者泣かせである。(これも写真無し)
開けた場所から由良港を撮影。
頂上に到着。取り壊しも難しいので鉄塔だけ撤去してあとは放置プレイ。
ちょいとおじゃましますよ。左が電源室、右が無線室といったところか。
番所山から重山に移動途中に湧き水をいただく。
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