2018/08/03 (Fri) 16:07
2018/06/10 (Sun) 23:19
2018/04/27 (Fri) 23:41
2018/02/14 (Wed) 22:50
2018/01/13 (Sat) 23:58
2017/12/22 (Fri) 01:24
2017/11/03 (Fri) 21:43
申し込んだら当選してしまいました。
というわけで配置は3日目(12/31)東地区 O-48b です。
頒布物は反射板写真集です。よろしくお願いします。
https://webcatalog.circle.ms/Circle/Map/13603764/1
というわけで配置は3日目(12/31)東地区 O-48b です。
頒布物は反射板写真集です。よろしくお願いします。
https://webcatalog.circle.ms/Circle/Map/13603764/1
2017/10/31 (Tue) 22:07
<2011年12月15日・新規>
<2015年7月12日・写真追加>
<2017年10月31日・写真追加>
蟹田駅の北1km位置する観瀾山にある。蟹田から函館山の間は昭和27年の開通当時は日本はもちろん、世界でも例のない海上横断の区間であった。
SHF回線より前のUHF回線時代は蟹田からさらに北の平舘にあったが今のように道路は整備されておらず僻地のようなところだったため、この地に決めたと思われる。
現在も残る局舎と鉄塔は2代目で、初代は5階建ての細長い塔であった。当時は導波管を長くすると通信不能になる恐れがあり、長さを抑えるための措置である。恐らく製造技術がまだ無かったからと思われる。
昭和38年の夏に原因不明の火災で使用不能となり建て替えられた。この頃にはすでに導波管の問題もクリアされており平屋建ての局舎と鉄塔の組み合わせとなった。
<2015年7月12日・写真追加>
<2017年10月31日・写真追加>
蟹田駅の北1km位置する観瀾山にある。蟹田から函館山の間は昭和27年の開通当時は日本はもちろん、世界でも例のない海上横断の区間であった。
SHF回線より前のUHF回線時代は蟹田からさらに北の平舘にあったが今のように道路は整備されておらず僻地のようなところだったため、この地に決めたと思われる。
現在も残る局舎と鉄塔は2代目で、初代は5階建ての細長い塔であった。当時は導波管を長くすると通信不能になる恐れがあり、長さを抑えるための措置である。恐らく製造技術がまだ無かったからと思われる。
昭和38年の夏に原因不明の火災で使用不能となり建て替えられた。この頃にはすでに導波管の問題もクリアされており平屋建ての局舎と鉄塔の組み合わせとなった。
2017/10/06 (Fri) 01:21
2017/09/20 (Wed) 22:41
2017/09/18 (Mon) 16:39
<2010年8月24日・新規>
<2014年1月16日・写真差し替え>
マルスの中央装置は最初は丸の内に、後に秋葉原に移ったが、その秋葉原も手狭になってきたため国立の鉄道総合技術研究所の近くにデータセンターを建設、全国にある端末とデータの送受信を行うためのインフラとして東京本社-国立に無線回線を整備した。
昭和47年4月、東京本社-新宿-国立の新宿ルートと東京本社-東京タワー-大宮-国立の大宮ルートが2GHz・PCM-FSK方式で開通、大宮ルートは武蔵野線の通信回線も兼ねていた。
かつては3面あったパラボラアンテナも今は城山向けのみとなり、代わりに携帯電話のアンテナと保守用のVHFのアンテナが設置されている。
隣には鉄道総研、新幹線の試験車を保存しているひかりプラザがある。住所も光町、まさに鉄道の町。
<2014年1月16日・写真差し替え>
マルスの中央装置は最初は丸の内に、後に秋葉原に移ったが、その秋葉原も手狭になってきたため国立の鉄道総合技術研究所の近くにデータセンターを建設、全国にある端末とデータの送受信を行うためのインフラとして東京本社-国立に無線回線を整備した。
昭和47年4月、東京本社-新宿-国立の新宿ルートと東京本社-東京タワー-大宮-国立の大宮ルートが2GHz・PCM-FSK方式で開通、大宮ルートは武蔵野線の通信回線も兼ねていた。
かつては3面あったパラボラアンテナも今は城山向けのみとなり、代わりに携帯電話のアンテナと保守用のVHFのアンテナが設置されている。
隣には鉄道総研、新幹線の試験車を保存しているひかりプラザがある。住所も光町、まさに鉄道の町。
2017/08/31 (Thu) 00:21
2017/08/06 (Sun) 23:43
2017/06/29 (Thu) 23:33
<2010年10月28日・新規>
東京を出て直江津からは日本海沿いをひたすら進んだ東門第二ルートは島根で進路を南に変えて中国山地を縦断し野呂無線中継所に落ちる。この局が東京から見て東門第二ルート本州最後であった。ここから先は瀬戸内海を渡り四国を経由して九州に至る。南に変えずにそのまま日本海沿いに進むと元からあるルートと接近してしまい別ルートを構成した効果が薄れるので敢えて縦断させたと思われる。
「日本国有鉄道 野呂無線中継所」の名称板が隠れてそう
ここも既に撤退した模様
この当時、新幹線の工事と平行して進められていたためかなりの工事量だったらしい
さざなみスカイラインの途中にある展望台からの眺め
東京を出て直江津からは日本海沿いをひたすら進んだ東門第二ルートは島根で進路を南に変えて中国山地を縦断し野呂無線中継所に落ちる。この局が東京から見て東門第二ルート本州最後であった。ここから先は瀬戸内海を渡り四国を経由して九州に至る。南に変えずにそのまま日本海沿いに進むと元からあるルートと接近してしまい別ルートを構成した効果が薄れるので敢えて縦断させたと思われる。
「日本国有鉄道 野呂無線中継所」の名称板が隠れてそう
ここも既に撤退した模様
この当時、新幹線の工事と平行して進められていたためかなりの工事量だったらしい
さざなみスカイラインの途中にある展望台からの眺め
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