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2011/07/05 (Tue) 23:12
700系C編成、1億円ヨリ(謎

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2011/07/03 (Sun) 22:18
玖珂駅でたまたま見つけたもの
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扱ったら何か起こるかなwww
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2011/06/21 (Tue) 23:45
JR西日本の広島支社(国鉄時代は広島鉄道管理局)のすぐ側にある。この鉄塔は2代目で、昭和40年代の東門第二ルート新設に伴い建てられたものである。高さは高層建築対策として約60m。

2010年6月5日撮影
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2011年4月24日撮影
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2011/06/20 (Mon) 01:05
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SL北びわこ号を撮るのはこれが初めてだったりする

あと1日連絡が早ければ行ってたかも・・・

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2011/06/15 (Wed) 08:30
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この鉄塔は2代目、山陽新幹線の高架が伝搬路に支障するために新たに建てたようだ

2010年11月21日撮影
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2011年5月22日撮影。アンテナが撤去された。
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2011/06/13 (Mon) 22:01
鳥取市街からすぐ北東に位置する本陣山の山頂にある反射板。昭和39年9月に大阪-米子回線が開通した時は豊岡向け・米子向け・鳥取向け3方向の無線中継所であった。本陣山-鳥取は12GHz・ビーム給電方式を、本陣山-米子は偏波を利用したスペースダイバーシティを採用した。いずれも国鉄初の方式であった。
昭和48年12月のルート改良により廃止されたが、鉄塔には鉢伏-鳥取間の反射板が設置された。
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頂上まで舗装されており快適に歩くことができる。市街地から非常に近いため18時近くになっても散歩している人がいた。

鉄塔は46mで、当時の国鉄のSHF無線鉄塔としては最も高い。今は反射板が設置されているが無線中継所時代は米子向けのパラボラアンテナが、その約15m下にも同じく米子向けのアンテナがそれぞれ設置されていてスペースダイバーシティ受信を行っていた。上でも述べたように本陣山-米子は偏波を利用したスペースダイバーシティを採用していたので上下のアンテナで偏波が異なっており、なおかつ送受信兼用であった。
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無線中継所時代の局舎。屋上左に鉄柱の切れ端みたいなものが出ているが、これに本陣山-鳥取12GHz時代の鳥取向けのアンテナが取り付けられていた。まだ残っていたとは。
ビーム給電を採用した理由は12GHzの場合、導波管が長いとそれに起因する損や歪が無視できないほどになる。それらが少ない導波管もあったが値段が高かったそうである。ビーム給電は無き電中継の一種であるが、国鉄が今まで採用してきた無き電中継との違いは片方の送受信点から反射板までの距離が数十メートルと極端に短い。本陣山の場合は局舎の屋上にアンテナを、鉄塔の頂上付近に小さい反射板を取り付けていた。フレネルゾーンがビームの様に細いところで反射させるからその様な名前がついたのであろう。

電電公社の無線中継所はNTTドコモの基地局兼FM放送の送信所となっている。
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鳥取市街
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2011/06/12 (Sun) 01:00

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2011/06/09 (Thu) 08:25
ハチ高原の鉢伏山ではなく鳥取県の中央の海側、東郷池の南東に位置する鉢伏山。昭和48年12月の大阪-米子ルート改良により新設された。廃止後は電力会社からの引込み線は撤去されて放置となっている。
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2011/06/07 (Tue) 08:18
駅の南側に約25mの鉄塔があったらしい。回線廃止後も鉄塔のみが残っていたがそれも撤去された。
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2011/06/01 (Wed) 01:02
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2011/05/31 (Tue) 22:45
旧駅舎の屋上、福知山支社寄りに鉄塔が設置されていたようだが(Wikipedia参照)高架化により旧駅舎ごと取り壊されてロータリーとして整備された。
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2003年8月29日撮影
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2011/05/24 (Tue) 01:34
昭和39年9月に大阪-米子が開通したときは福知山-豊岡の反射板であったが、昭和48年12月のルート改良により無線中継所新設、その後東門第二ルートに組み込まれた。
東門第二ルートで2方向、東門第一ルートの六甲向け、福知山向け、豊岡向けの計5方向は東京タワーとトップタイであった。
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廃止後はどこかの企業か団体の無線中継所として再利用されている。判断の決め手は接地杭。
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2011/05/23 (Mon) 00:57
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2011/05/20 (Fri) 00:51

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2011/05/18 (Wed) 08:13
亀山-松阪間の反射板。昭和58年8月の6GHz化の際に新設された。
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