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Mr.Jのブログ
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2011/09/08 (Thu) 08:45
2010年9月21日、新規
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1954年9月、大阪-六甲-姫路・六甲-兵庫が開通。この回線では当時開拓されていなかった6GHz帯の使用、六甲局での分岐挿入と六甲-姫路間の反射板による無き電中継という後々のマイクロウェーブ回線整備に用いられた技術がテストも兼ねて採用された。
昭和40年代の東門第2ルート開通時には第2ルートの中継局である粟鹿局と接続しループ構成を図った。
一番上の写真で説明すると左2つが大阪向け、右2つが姫路向け、上段のアンテナが粟鹿向け。

ここから2011年9月8日更新
ついにアンテナ撤去(停波して結構経つけど)。代わりに小さいパラボラアンテナと何かが設置されていた。アンテナの大きさから推測すると10GHz以上といったところか。教えて詳しい人。
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新設当時の局舎は昔も今もこの無線局だけだろうと思われるガラス張りであった。既に観光地化していた六甲山の景観に配慮したものであった。しかし暴風雨で割れることが多かったため塞いでしまったそうだ。
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2011/09/07 (Wed) 08:29
災害に強い通信回線づくりとして九州地区、昭和30年代当時の制度で支社のある門司から熊本・大分・鹿児島の各管理局の通信をSHFで構成する計画を立てた。 昭和33年10月、門司-鳥栖増強に伴い発生品となった無線機を再利用して門司-中津-大分が開通。昭和41年9月にSS-FM方式の無線機に取替及び23ch→60chの回線増強が行われる。 昭和49年5月に東門第二ルート完成に伴い、門司-大分は東門第二ルートに吸収される形で廃止となった。その際に中津局の大分向け無線機を再進局に移設した。

2008年12月6日撮影
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2010年11月13日撮影
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九州編はひとまずこれで終了です。

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2011/09/04 (Sun) 23:16
当初は再進峠付近の523mピークを選定していたが地権者との折り合いがつかずで諦め、約400m南西の地を再度選定した。交渉は地権者側としては無線局新設に伴い自動車が通れる道路が作られることにより林業がし易くなるということでうまくいったという。
完成後、道路は自治体に移管されて林道の一部として現存している。

無線局はルートの廃止に伴い取り壊された。50m鉄塔が見る影も無い。
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少し捜索すると土留めに完成?年月が埋め込まれていた。野呂-門司の開通は昭和49年5月なのでこの場所で間違いない。かつてこの地に無線局があったことを示す最後の証。
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この看板が無ければ気づかずに通り過ぎていただろう。
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2011/09/02 (Fri) 08:21
ルートを書いてみた。西行きだけでも結構な数があるなぁ。胸熱!
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2011/09/01 (Thu) 08:43
昭和49年5月開通の東門第二ルートの無線局。 現在は取り壊されてその跡にはイーモバイルの基地局が建っている。
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国土交通省の無線局(だったと思う)。いっぱいついているホウキみたいなブツは避雷針のようなものらしい。
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2011/08/27 (Sat) 11:19
早岐-長崎のルート選定に悩まされるもそれを乗り越えて昭和41年9月、博多-長崎が開通。その後、ルート改良や回線増強もなく時が流れて国鉄末期に無線機の取替計画を進めていたが分割・民営化によりストップした。計画自体は鉄道通信、その後日本テレコムに引き継がれて平成3年にデジタルマイクロとして開通。国鉄時代からのSHF回線はデジタルマイクロに収容替えとなり廃止された。

1階が交換機室、2階が無線機室といったところか。列車無線のアンテナが建っているあたりに鉄塔があったと思われる。
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デジタルマイクロの無線局。今は携帯の基地局。
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長崎駅の高架化によりこの界隈の風景もガラリと変わるに違いない
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2011/08/22 (Mon) 14:02
移動中に高く聳え立つコン柱を見つけた。
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近づいてみた。コン柱というよりはコンクリートタワーだな、こりゃ。
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現在コンクリートタワーは使われていないようだ。
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海保と海自が共同で使用しているといったところか。
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調べてみると完成は1922年、高さは130mほどで現在は設備更新により使われていないとのこと。
高さはあの石崎無線中継所よりも高い。

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2011/08/11 (Thu) 08:35
午前中は南千歳駅近くの築堤から撮影
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混合飛行を見届けた後は基地内へ移動
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ブルーの中の人を拍手で見送る。クソッ、目から汗が・・・
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訓練時間があんまりとれなかったとは言うものの・・・ 良いものを見させてもらいましたw
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震災の後だけに開催を決定した中の人に感謝!

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航空祭のあとは札幌のJRタワーの展望台でFridayNightFantasyを聴きながらボーっとする。

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2011/08/05 (Fri) 14:54
この無線局は当初、佐賀駅構内に設置する予定だったが早岐へのルートが途中、山に遮られて構成不能であったので佐賀線の南佐賀駅に設置することとなった。南佐賀では回線の分岐は行われず、単なる中継局であった。
佐賀線の廃止から数年後、デジタルマイクロに置き換えられる形で廃止となり現在は公園となっている。
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2011/08/03 (Wed) 08:09
昭和41年9月新設。説明は若杉山局を参照。長崎方面のSHF回線はこの無線局を経由した。

吉塚駅のすぐ側、鹿児島本線と山陽新幹線の間にあった。ベージュ色の建物の手前の空き地がそれだったようだ。廃止後すぐに取り壊されたものと思われる。
奥はデジタルマイクロの福岡局。国鉄から引き継いだSHF回線の一部を置き換えたもののそれも廃止になった。10年ほど運用?
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2011/07/28 (Thu) 08:17
昭和48年12月新設の東門第二ルートの無線局で、ここから門司と若杉山経由で博多に分岐していた。この無線局の新設で戸ノ上山反射板の若杉山向けが廃止となった。

皿倉山の南西、権現山にある。
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屋上にあった鉄塔は撤去されて局舎のみが残っている。
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ちょうど良い時間だったので夜景を見て山を降りた
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dxtv_kitaq様の権現山(北九州)で在りし日の皿倉無線局を見ることができます。
http://www.geocities.jp/dxtv_kitaq/
通りすがり様、情報提供ありがとうございました。

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2011/07/26 (Tue) 08:18
戦後復興により需要が増加、現用の中継線ではそれに対応するのが難しくなってきた。そこで青森-函館、大阪-姫路に導入されて好評を得ていたSHF回線を門司-鳥栖に導入することとし、昭和31年1月に開通。6.5GHz帯・回線数は電話23chであった。
昭和35年9月には岡山-門司開通により当時の東門ルートが完成した。
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遂に門司まできてしまった。残り2局で東門第一ルートは完成、よくここまで調べ上げたもんだ。
しばらくは九州シリーズが続きます。

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2011/07/20 (Wed) 01:02
サンダーバードに乗っていたら新大阪・大阪とカメラを構えてた人がやけに多かったので大阪で待っていたらやってきたのは・・・
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クモヤと103の中間車(スカイブルー2両、オレンジ3両)であった。

どうやら幡生送りだったみたい(要は廃車回送ってこと)

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2011/07/09 (Sat) 13:41
国鉄は幹線ルートの構築にあたって「無線局は交換機が収容されている機器室の近くへ、山上には反射板を設置する」という考え方で建設していったが中には地形により見通しが得られずにやむなく機器室(駅構内)から離れた場所に設置する場合もあった。無線局から機器室の間はケーブルを敷設・架設して接続した。
禅定寺前山局もこれに該当し、小郡(新山口)駅の北側に位置する雨乞山にある。この無線局が東門第一ルートでは東京から見て本州最後の無線局・反射板となる。
名称は駅から見て禅定寺山の前にある山といったところか
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手前が昭和30年代の幹線ルート新設時の局舎。奥は日本テレコムが新幹線の管路に敷設した光ファイバーケーブルを使って市外電話を始める際に建てられたもの。小郡から山口市街にある電話局へアプローチするためのデジタルマイクロだったらしい。
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2011/07/07 (Thu) 08:29
何か惹かれるものがあったので撮ってみた
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上から見下ろせる商店街とはまた珍しい。左側はマンションとつながっていたりする
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